SMAPという伝統芸能

ちなみに筆者は、SMAPにも、ジャニーズにも、なんら深い思い入れはないし、あまり詳しくもない、ということを最初に断っておく。
スマップは、伝統芸能である。それは80年代アイドル芸という伝統芸能である。つまり80年代アイドルというものは、80年代の終焉と共に、伝統芸能化す ることで生き残ったのだ。もはや、80年代というものは、ある世代の一定層にとっての、過去の栄光の時代として、もはや伝統芸能として自律、生き始めてい るのではないかと思うのである。その端的な例が、SMAPなのであると考える。
SMAPとは何か?もうSMAPの時代じゃなくて、嵐よ、とか、キスマイよ、などという声も聞こえてきそうであるが、ちょっとした問題提起をしておきたい。
ゼロ年代というものが論じられ、AKBを扱った新書が出たり(前田敦子はキリストを超えたうんぬん、なんというような題は話題となった)、アイドル文化が 市民権を得た(ように見える。とんだ道化のようにも、ただのコンテンツ産業にしかみえなかったりするが、まあそれはそれでおいといて)。ここで、80年代 末~90年代という一見サブカル不毛の時代(?)―少なくとも、宮崎勤の事件や、オウム事件で「カルト」的サブカルは地下で、それこそアンダーグラウンド で息をひそめなければならない時代に陥っていたといえるだろう―におけるアイドルたちは生き延びる術として輝かなりし「80年代」のサブカル文化、アイド ル文化をそのまま冷凍保存しながら生きながらえるという方法をとったのだ。テレビの世界で。「SMAP」はその申し子だ。スマップは80年代を生きてきた アイドル好きなオタク(女性)たちをそのまま抱え込んで、ファン層として獲得し、固定層を堅持しつつ、若い女の子たちのハートをもつかみながら活動してき たのだ。だから、SMAPのファンは、SMAPより年上の、おばさまたちが多いだろう(偏見)。
SMAPは、そういうファン層(受容層)をしっかり狙ったSMAPをプロデュースした人たち(ジャニーさんはやっぱり天才だ)の戦略的商品だ。
そうそう、とりあえず、まずスマップというもの、そのものについて。Wikiから拾ってきましたよ。
スマップは、1988年結成、92年メジャーデビュー。この時代的な文脈では何を仮定することができるだろうか。それはおそらくSMAPは80年代の残り 火、余韻として発生しており、その成立過程からして、ごく自然に、懐古趣味的なニュアンスを持って、80年代というものを背負ってデビューした、というこ とである。
所属事務所はジャニーズ事務所。レーベルはビクターエンターテイメント。メンバーは、中居正広(なかい まさひろ、1972年8月18日~、神奈川県出身、A型)、木村拓哉(きむら たくや、1972年11月13日~、東京都出身、O型)、稲垣吾郎(いながき ごろう、1973年12月8日~、東京都出身、O型)、草彅剛(くさなぎ つよし、1974年7月9日~、埼玉県出身(出生地は愛媛県)、A型)、香取慎吾(かとり しんご、1977年1月31日~、神奈川県出身、A型)、である。以前には、森且行(もり かつゆき、1974年2月19日、東京都出身、B型)というメンバーも参加していたが、1996年に脱退、オートレーサーに転身した。とにもかくにも、押 しも押されぬ日本の芸能界のトップレベルの人気を誇る。
では、そもそもなぜこんなSMAPへの熱い思いを書きたくなってしまったのかというところから話をしたほうがよいだろう。それは、少しさかのぼるが、年末 に見た紅白歌合戦で、かれらが歌っていた新曲に心打たれてしまって、改めてSMAPの重要性(日本人の精神史的、ポップカルチャー論的な意味での)に思い 至ったからである。
そのときの曲は、「Joy!」というもので、別に音楽に造詣が深いわけではないから、メロディーの解析、分析なんてできないのだが、聞いたときに「これぞ アイドル!」と思ったのである。そしてそれが、古臭いとか、ダサい、というのではなくて、どこか懐かしいような感覚を与えてくれたのは衝撃的でさえあった のだ。「青い稲妻」とか「がんばりましょう」、「SHAKE」といった、代表曲と同じ骨法で作られたのであろう。作詞作曲を担当した津野米咲(赤い公園) という若干21歳のシンガーは、サカナクションの山口一郎との対談でこう述べている。

山口 SMAPに曲作ったよね。それも聴いたよ。
津野 あ、本当ですか!?
山口 菅野よう子さんが関わってるんだよね?
津野 はい。私も一郎さんがSMAPに作った曲を聴きました。
山口 ありがとう。津野さんが作ったの、凄く『らしい』曲だったね。
津野 SMAPらしい曲ってことですか?
山口 いや、凄い赤い公園らしい曲だった。
津野 嬉しいです。そう言ってくださる方、あんまりいないですよ。
山口 実際には、SMAPっぽく合わせて作ったの?
津野 そのつもりでしたね。往年の、たとえば“KANSHAして”とか、“オリジナル スマイル”とか。
http://www.nexus-web.net/interview/interview4/

山口は、「赤い公園」らしい、と言っているが、津野自身も言っているようにそれは「SMAPに合わせて」制作された。そうなのだ、ここが多分重要なところ で、SMAPは多くの曲を売れっ子のシンガーソングライターたちに提供してもらっている。彼らは、マッキーしかり、スガシカオしかり。
彼らは、SMAPという明確な性格のあるアイドルグループにあわせて楽曲を提供した。今回の赤い公園とて例外ではない。
ではスマップの性格とはなにか、それは「80年代型アイドル」であるということである。見ていて、聴いていて「懐かしい」、それがSMAPの最大の強み だ。SMAPが体現しつづける80年代、それはなんなのだろうか。それは我々現代人がさかのぼれるもっとも古い時代感覚だ。もっと古い時代にさかのぼる人 たちももちろんいるが、団塊ジュニア世代が清純時代を謳歌した、80年代というのがもっともわかりやすく、現代日本のマジョリティーといっていいだろう。
そして、80年代、とは、80年代を実際に体験していない人々にとっても遡及する「懐かしさ」を秘めている。それを証明したのが、連続テレビ小説「あま ちゃん」だろう。震災を経て、我々は80年代に震災以前の「懐かしさ」を求めた。逆にいえば、現代の人々の原点、立ち戻る場所、あるいは、持っている歴史 は、80年代で断絶されてしまっている。それは60年代、70年代という政治の季節や、戦後復興期ではない、世界第2位の経済大国になってからの日本し か、思い出すことができないということである。
少し演劇的な話をすると、60年代アングラ演劇をちゃかす形で生まれてきたつかこうへい、そして、野田秀樹鴻上尚史。彼らは、アングラのアンチテーゼを 自認していたが、それを受容する側、観客たち、後の演劇人たちが、野田らをまねて、アングラ第一世代をすっとばしてしまった―彼らはちゃんと勉強したうえ でやっていたポーズだったのに―ために、日本の小劇場演劇は、常に時代時代に輩出される才能によって、断絶と繁栄を繰り返す。それこそ今の演劇界のルーツ は、平田オリザであり、野田ではない。だから演劇界の今持っている歴史の原点は、90年代にまで上ってきてしまっている。断絶は常に繰り返されているの だ。
閑話休題
とにもかくにも現代のサブであれPOPであれカルチャーの原点は80年代以降である。強引?ご容赦あれ。
では80年代アイドル、というものを少なくとも定義しておこう。それ以前のアイドルとはなにが違うのか。受容層が主に若者。キャンディーズみたいに老若男 女みんなペッパー警部、というのではなくて、「聖子ちゃーん!!」と合いの手を入れる若者がファンの主体。テレビのバラエティーでコントをやり、歌番組で 好きなフルーツや、最近の出来事についてコメントする人たちである。そんなところだろうか。(『シャボン玉ホリデー』でピーナッツやピンク・レディーがコ ントやってたじゃん!というつっこみには困ってしまうのですが……)
SMAPはそれを貫き通している。
言い換えれば、SMAPとは、『SMAP×SMAP』である、といえるだろう。
SMAP×SMAP』で、SMAPSMAPとしての存在価値を維持している。コントをし、歌い、わちゃわちゃする。SMAPは地球が滅亡しても『SMAP×SMAP』を続けなくてはならない。
芸能が伝統化するのは意外にあっという間なのである。歌舞伎だってそうだ。歌舞伎も幕末期にはすでに伝統芸能となっていたわけだし、そう考えれば、SMAPが90年代の始めには既に伝統芸能化していたとしてもなんら不思議ではない。
秋元康はここも視野に入れているに違いない。2010年代も押し迫ってくれば、AKBも伝統芸になっていることだろう。
『総踊秋葉馬鹿買』(そうおどりあきばのばかがい)
『聞噂握手会由来』(きくうわさあくしゅえのゆらい)
とか。失礼。へたくそでした。