木ノ下歌舞伎「心中天の網島」 ~珠玉の4分の1~

最近の木ノ下歌舞伎はチケットがけっこう争奪戦である。前回公演の「黒塚」のときは、当日券の列が、僕で終わってしまい、一緒に行った母は観られなかった。つい先日は、あの、東浩紀が主宰するゲンロンカフェで、早稲田大学教授の児玉竜一氏と主宰の木ノ下裕一氏が公開対談を行った。公演をうつたびごとに、新聞でも大きく取り上げられることが増えた。
ことほどさように最近の木ノ下歌舞伎は飛ぶ鳥を落とす勢いである。
さて、では、木ノ下歌舞伎とはどういったものなのか、少し概観しておく。
木ノ下歌舞伎とは、木ノ下裕一氏が主宰する演劇ユニットである。特定の演出家、劇団員をもっているわけではない。毎回、公演ごとに演出家を招聘し、出演俳優のオーディションを行う。とりあげる作品は歌舞伎の古典作品である。歌舞伎の古典作品を現代的な解釈によって、換骨奪胎し、戯曲としての価値、その魅力の再検討を行っている。
これまでには、「勧進帳」、「三番叟」、「夏祭浪花鑑」、「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋」、「道成寺」、通しでの「義経千本桜」、「黒塚」、「三人吉三」「東海道四谷怪談」などを上演してきた。
そして今回は、満を持して(だと筆者は勝手に思っている)近松門左衛門の名作中の名作、「心中天の網島」を取り上げた。これまで、近松作品がなかったのは、意外である。
個人的に彼らの作品では、上演時間の4分の3は退屈である。がしかし、4分の1が珠玉の出来であり、膝を打ってたたきすぎて膝が痛くなる。と、そんな塩梅である。それには、ひとつ、彼らの稽古方法に言及しなければならない。それは彼らが「完コピ」と言っている、大歌舞伎の映像を見て、まずそれをせりふ回しから、所作から、完全にコピーするところから稽古をスタートさせるという方法である。
その弊害か、木ノ下歌舞伎は総じて、現行歌舞伎では上演が途絶えているシーンの完成度が非常に高い。逆に現行歌舞伎をなぞっているシーンは割と退屈になりがちである。そんなことしてるんだったら、歌舞伎座行くわ、となるわけである。特に今回の「心中天の網島」(以下、通称の「紙治」と略記する)でも、現行歌舞伎ではあまり上演のない、橋尽くしの「道行」の出来が出色である。前回も、「四谷怪談」では、「夢の場」が本当に素晴らしく、同年に大歌舞伎で染五郎が久々に出した夢の場なんか目じゃなかった。木ノ下歌舞伎は演出家が変われど、この回想的シーンの情緒が素晴らしい。浄瑠璃の折り目折り目、現在の悲劇的状況と、過去の栄華あるいは、幸せだった日々、といったコントラストを木ノ下は補綴で巧みに掬って可視化していく。浄瑠璃の日常と非日常、過去と現在、を見せることに木ノ下は非常にたけている。僕は、彼は、アフタートークなのでの軽妙かつ、上方の人気急上昇中の二つ目の落語家さんみたいなおかしみがある語り口とは裏腹に、とてもロマンチシストなのだと推測する。
先ほど、「完コピ」の話をしたが、だから、僕は、木ノ下歌舞伎が、現行歌舞伎のレパートリーに準じる必要は全くないと思っている。だから、近松でも上演が途絶えている、「けいせい仏が原」とか、「傾城反魂香」の通しとかやったらいいのだと思う。あと、木ノ下歌舞伎の方法論にそぐわないかもしれないが、新歌舞伎にもとりくんでほしい。たとえば戦後の日本政治の精神史を新歌舞伎の劇作品からひもとくような形でオムニバス上演するとか、そういうものは是非みてみたい。きくところによると北条秀司の「伊井大老」などは、学生運動を題材にしていると北条氏も公言しているらしいし、長谷川伸などの股旅物とアウトローと戦後日本、なんてのも面白そうなテーマ系ではないか。戯曲には、その時代の空気が織り込まれている。それと現代を接続するなら、なにかしらの文脈もできるだろうし、そのとりあげた戯曲の上演の必要性がより浮彫りになるのではないかとも思う。
もうひとつ、木ノ下歌舞伎の特徴を記しておこう。それは、言語態をいくつかの層にわけて、多層的な言語空間を作っている、という点である。実際に歌舞伎の台詞を歌舞伎のせりふ回しで言う層、そして、台詞を現代語に直している層、あといくつかあったかと思うが失念した。彼が、いかにテキストを立体的に組もうとしているかがわかる証左である。だから、木ノ下は、歌舞伎は歌舞伎でも、戯曲が好きなのだ、そこで繰り広げられる劇構造が好きなのだ。俳優の至芸では必ずしもないのではないかとさえ思う。
木ノ下自身、贔屓の歌舞伎俳優がいないのだそうである。これは歌舞伎ファンとしては決定的におかしなことで、絶対贔屓の役者というのはいてしかるべきなのである。そして、好きな役者に今度は何をやってほしい、だとか、早くあいつにあの役をやらせてやれや松竹の馬鹿野郎、などと思うのが、歌舞伎ファンの常なのである。彼は、落語、能狂言文楽、歌舞伎、とそれぞれ自分の小学校、中学校、高校、大学、とそれぞれの時期に決めて、その伝統芸能に触れてきたのだそうである(順番は忘れた)。だから歌舞伎も、べつにそこまでの熱をもって接しているわけではない。それなのに、研究対象としてのめりこむ衝動はどこから湧いてくるのか不思議である。つまり、木ノ下さんに聞いてみたいのだ。「戯曲テキストと向き合い、それを上演するのであれば、なぜ、歌舞伎のホンなのですか?」と。彼らがやっていることは、あくまで歌舞伎の戯曲を扱っている。それが、彼らの取り組みの決定的に新しい点で、これまで意外といなかったのである(もちろん、俳優座文学座で「四谷怪談」を上演したり、というのはあるが)。これまでの歌舞伎の現代演劇への移入は、古くは鈴木忠志や、唐十郎、少し時代が下って、花組芝居橋本治の活動は難しいが、基本的にそのカッコつきの、新劇によって忘れさられていた日本の「伝統的」な身体の復権、という意味で、主にその俳優術(腰を使った日本舞踊や仕舞いのような動きや、女形)にその特徴を求めた。が、しかし、木ノ下は、戯曲というもののもっているポテンシャルに目をつけた。歌舞伎の戯曲を現代の演出家で上演したらどうなるだろう、と。歌舞伎を研究対象として対峙しなければ絶対に思いつかないであろう着眼点だと思うのだ。大学の日文科のゼミで歌舞伎に触れる、というのなら別だと思うが。つまり、どういう質問なのかというと、「では、純粋に人形浄瑠璃の床本でいいではないですか?」ということである。実際最近では、木ノ下歌舞伎も結構俳優の身体性(俳優の技量)によっているところが多いとは思うが、数年前までは、俳優よりも人形を使った方がいいのではないか、というぐらい、戯曲をいかに現代的なセノグラフィー上で表現するか、というところが肝だったように思われる、というのは、いささか乱暴だろうか。
さて、前段の話が長引いた。ここからは、少し、今回の作品についての短評としたい。
まずは、『名作歌舞伎全集』の戸板康二の解説から。シンジュウテンノアミジマ。享保5年12月6日初日。竹本座に、近松門左衛門によって書き下ろされた。同年の10月におこった大阪網島の大長寺での、天満お前町の紙商治兵衛の情死事件を題材にしている。
劇評家水落潔はこの『河庄』を最も好きな芝居として挙げている。現藤十郎の『河庄』は本当に素晴らしい。だが、しかし、木ノ下歌舞伎は、大阪の風情とか、匂い立つ色気、とか、そういうのを追及しているわけではない。江戸なのか、上方なのか、はたまた近未来なのか、その無名性が強調される。そこには、古今東西、普遍的であろうテーマ、妻子もいるくせに風俗嬢にいれあげ、結果、個人商店のため、店の帳簿とレジの売り上げに手を出して、通いまくる、貢ぎまくる、という物語が浮き彫りにされつつ展開される。そういうふうに治兵衛像を掘り下げると、なるほどなあ、と思った。ださくて、女の子の営業トークを真に受け、「一緒に死のう」とわりとなんとなくいいかわしていて、そういううちにあの子はぼくのものだ、という独占欲で、自らもがんじがらめになっていく。日髙啓介の治兵衛はクズっぷりがよい。島田桃子の小春は、情があってあたたかい。それでいて、やはり水商売の軽さも忘れない。伊東沙保のおさんも近所も公園のママ友にいそうである。同級生だけど、ちょっとしっかりしているお姉さん気質という感じ。武谷公雄(孫右衛門)は、もはや木ノ下歌舞伎に欠かせない存在なのではないだろうか。圧倒的に技巧的である。
紙治内で、おさんが家財道具を質入れするところで、この状況下でも、ミスチルのCDを売るときに未練たらしい顔をする治兵衛像(これは日置貴之氏がSNSで書かれていたが)を構築したのは、藤十郎の治兵衛を見続けているだけでは到底達しえない読解だろう。
道行での(治兵衛)「そういえば、二人で店の外で会うのって初めてだね」とか(治兵衛)「おっぱいみせて」(小春)「次の橋まで行ったらおっぱいみせてあげる」とか、(治兵衛)「小春走るの遅いよ、Hのときはあんなにスタミナあるから運動得意だと思ってた」とか、そういう造形は素晴らしかった。そしてそれが情感たっぷりに描かれるのだから、自然と涙がこぼれるというものだ。
アゴラ劇場の舞台には、白い平均台が所せましと置かれており、蜘蛛の巣のようである。交錯する屈折しつつひたむきな恋、恋慕、がんじがらめなドツボ的世界が美しい雪景色のように表現される。そして、演出の糸井幸之介の音楽劇としての仕上がりがとても良い。音楽が心地よく、劇的高揚感をかきたてるのに申し分ない。
歌舞伎の海に深く潜っていく、木ノ下歌舞伎から今後も目が離せない。

                                岡村正太郎
(10月1日、こまばアゴラ劇場